中日や横浜DeNA、オリックスでプレーしたトニー・ブランコ氏が43歳の若さで亡くなりました。死因は母国であるドミニカ共和国ナイトクラブの天井崩落による圧死と見られますが、そこにいた西武やオリックスでプレーしたエステバン・ヘルマン氏は助かりました。
どういった状況で?何故、ヘルマン氏は助かったのか?
天井崩落の瞬間、ヘルマン氏はトイレから戻り、席に着く前のようだったが、ブランコ氏からの危険の合図がヘルマン氏を間一髪で救出に導いた。ただ、ヘルマン氏も崩落前に完全に脱出が間に合ったわけではないようだ。
状況から
崩落に先に気づいたのは→ブランコ氏
脱出可能な位置に近かったのは→ヘルマン氏
と考えられる。
崩落はナイトクラブの老朽化が原因?
天井崩落と聞いてナイトクラブの構造に問題があったのか!それとも老朽化が原因だったのか噂になっているが、本当なのか。
現場は約50年前に建設されたジェットセットという人気のナイトクラブ
流石に建設から50年経過していれば点検を1度もしていないとは考えられないが、最後の改装は10年前の2015年(平成27年)、また、2年前の2023年(令和5年)には落雷による電気室の火災があったようで、一時使用されていない時期もあったそうだ。
崩落の原因に以前の火災が全く関係ないとは言い切れないが、
火災によるナイトクラブによる損傷
天井の亀裂の発生
などが考えられる。
ブランコ氏がいなかったら、ヘルマン氏も犠牲になっていた可能性も!
ブランコ氏よりもヘルマン氏の方が脱出可能な位置に近かったとはいえ、2人の距離が天井崩落時そこまで離れていたわけではない。むしろ、かなり近距離であった。ブランコ氏が天井の瓦礫を支え、ヘルマン氏を押し出したすことが出来たのが救出へ導いた。
2人の日本在籍時の本塁打数
ブランコ氏:181本
ヘルマン氏:15本
日本での在籍年数はブランコ氏は日本在籍時代、ヘルマン氏よりも本塁打数が多く、圧倒的なパワーヒッターと言える。現役引退したとはいえ、ヘルマン氏を救出するまで瓦礫を支えられたのもブランコ氏の強靭な腕力や背筋力が功を奏したと思われる。
2人の明暗に繋がったのは?
・ブランコ氏の方がヘルマン氏より崩落した瓦礫の中心部にいた可能性
・天井崩落時、ヘルマン氏よりパワーのあるブランコ氏が同席していた
上記の状況があったと考えられる。
不慮の事故でお亡くなりになりましたトニー・ブランコ氏にご冥福を祈ります。